人それぞれに苦しみがある。外から見ればそのほとんどは些細に思えるものだ。苦しみの味は当人にしか分からない。

 

人と人が真に分かり合うことはきっとこれからもないだろう。人類共通の苦しみがあるとすれば、まさしくこの一点に尽きる。

 

たとえ同じ物を見ても感じ方は全く違う。この土台になるのは自らの経験だ。知識や教養はあくまでその飾りでしかない。

 

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ソフィ・カルはフランス人の写真家。日本に90日間留学をした経験を持つ。本展はその留学時の辛い経験が基になっている。芸術家にとって苦しみとは願ってもない創造の機会だとつくづく思う。

 

一般人からすれば苦しみは避けるべきものであるし、またその後には何も残らない。よく苦しみの後には幸せが待っているなどと言うが全くのでたらめだ。幸せはそんな大それたものではない。例えるならチロルチョコ程度のものだ。だから毎日気軽に味わえる。

 

芸術家とデザイナーの違いは問題を提起するか解決するかにある、と何かの本に書かれてあったことをふと思い出した。その定義に従うなら、芸術には責任がないことになる。

 

確かに一理あるかもしれない。その作品を見てどう感じるかは人それぞれなのだから、と結局は先程の結論に至る。