散歩がてら鶴見の總持寺へ。日曜の外出が段々と怠惰的なものになっていることに気付いた。そうなるにつれて街の印象もどこか冷たく感じられるようになった。

 

特に道を歩いているときの疎外感はなんとも言えないものがある。無機質なコンクリートがそれにより拍車をかける。

家に居たくないからという理由で出かけると散々な目に遭う。やはり何かしら目的を決めてから出かけた方が満足感がある。

 

遠出に行く準備をして出かけておきながら、結局行き先が決まらず近所をぶらぶら散歩しただけで帰宅するというガッカリな体験を、今まで何度も味わっているからこそ余計にそう思う。

毎回こうして休日の過ごし方に悩むぐらいならいっそ家庭を持った方が楽ではないかとも思う。そうすれば家族との時間で休日はすっぽりと予定が埋まってくれる。

 

でもこれって結局ただ他人を利用しているだけだ。そんな邪な気持ちでどうして相手を幸せにできるだろう。

そもそもカメラを買ったのはそんな理由からだった。カメラ一つ持っていればどこへ出かけるにしても写真を撮ることが目的になる。これでもう出かける度に悩まずに済む。

振り返ってみると、以前はむしろ休日は家で過ごすことの方が多かった。ツタヤで借りたDVDをポテチつまみながらひたすら鑑賞したり、ディスクユニオンで買い漁ったB級パンクをひたすら聴いたり、星新一や筒井康隆あたりのSF小説を読み漁ったり。あの頃は確かに物によって満たされていた。

何をするにもパソコンやスマホの時代になってから何だか効率さばかりが求められて余裕がなくなってしまったように思う。

 

その点から言えばツタヤにDVDを借りに行くことは全く非効率だ。自ら足を運んで膨大な棚の中から作品を探さないといけない。でもそこには偶然の出会いがあった。その振り幅がとても楽しかった。

多少の不便さは心を豊かにする薬味になる。後先考えずその瞬間やりたいと思ったことをやる。それがきっと充実した休日となり、いつかの良き思い出となってゆく。