行きの車中ではせいじさんと山ちゃんが二人でよくあちこち出掛けていたことを話す。途中寄り道していきる茶店の前を通った。いっぽいっぽからいきる茶店までの林道はえいじくんの散歩道でもあるらしい。二人とも初めて通った道だと言っていた。

 

山ちゃんから男子会のようなことをやりたいんですよね?とふいに振られる。そうですねと答えた後、まだやってみようとは思わない?とさらに返って来る。もう少し固まってからと答えると、さっきの山ちゃんの話とつながるねとせいじさん。

 

せっかく広い庭があるんだしあそこでお茶会みたいなことをするのもありなんじゃない?と言われて思わずはっとした。その発想はなかった。

 

ぐいぐいと質問されると、どうしてもしどろもどろになってしまう。言葉が思考に追い付かない。日頃散々構ってほしいと思っているくせにいざそうなると今度は放っておかれたくなる。まったく天邪鬼。

 

会場に着くと思いのほか賑わっていた。そうしさんも音響としてステージの傍にいた。なおこさんや整体師の平山さんの姿もあった。めぐさんともばったり会えた。はしもとやと雨宿りも出店していた。自分を知ってくれている人がいる。そのことに改めて気付いて何だか嬉しくなった。

 

深い関係になれるかどうかは相手次第でもある。自分だけがそれを望んだって決して叶うことはない。無理やり頑張っても自己嫌悪と他人嫌いの元になるだけで良いことなんて一つもない。それなら力をぐっと抜いて5割くらいの軽い気持ちで付き合う方が精神的にはずっといい。

 

初めての鮎は少し磯臭かった。帰り際、大勢が苦手だったよねと山ちゃんに振られる。大勢の前に出る場が苦手と答える。でもよくよく考えてみればバンド時代はばんばんライブをやっていた。これは一体どういうわけだろう。彼の妹も人前で演奏するのは難なくできるが話す場になるとダメらしい。不思議だ。

 

彼は大勢の場や新しい場に行くと頭が痛くなってしまうのらしい。後でそのことを打ち明けてくれた。

 

自分は仏教を正しく実践できているんだろうか。人との接し方、話し方や態度に変化を感じるようになるにはまだまだ時間がかかるんだろうか。どこか焦ってしまっている。自分に対して怒りを感じてもいる。

 

19時ごろえんつなぎに戻ってきた。せいじさんは帰り、山ちゃんは風呂へ。一人で漫画を読みながら待っていると、親子連れの客がやってきた。父親がすくったばかりのヨーヨーを捨てる。それを見ていた小1ぐらいの娘が全部捨てちゃうの?と尋ねる。父は面倒そうにそうだよと答える。

 

少女は、そのヨーヨーが翌日には萎んでゴミ同然になるという事実をきっと知らない。

 

あらゆるものから過程が取り除かれ、結果だけを容易に手にできる現代。プラモも恋人も映画も何もかも。

 

恋人を得るための努力は後になって思えば全く独りよがりでみっともない。でもそれを経験することは何より価値があることだ。人間ってこんなものかと気付けるから。ああしょうもなかったと笑い話にだってできるだろう。そういう笑いのネタをたくさん持つ人はやはり明るい。

 

そんなことを風呂上がりの彼と話した。