朝目覚めた時、妙なスッキリ感を覚えた。一発抜いた後のそれによく似ていて思わず愚息に手を当てる。どうやら夢精ではないらしい。確かに安堵はしたが、疑問はなおも残ったまま。ああ、すっきりとしない。
思い返してみると、その日の目覚めの気分というものは前日の出来事に左右されることが多かったような気がする。なら昨日を振り返ればその理由が分かるかもしれない。何かいつもと違ったことはなかったか。
一つだけあった。ほんの少しだけど小説を書いた。おそらくこれだろう。書くことはすなわち心の自慰。ゆえにスッキリ感を覚えた。まとめるとそういうことになる。
性的衝動を昇華させたものが芸術という話は聞いたことがあるけれど、あながち間違っていないように思う。
芸術家はスケベであればあるほどより高尚な作品を生む、のかもしれない。同時にまたそれは絶えず作品を生み出し続ける義務を負うということでもある。でなければ持ち前の性欲であっという間に身を滅ぼしてしまうだろう。
今日はリビングで作業してみることにした。こっちの方がしっくり来る気がする。昼食後にまたもスマホでネット記事を読み漁る。ほんのちょっとだけが命取り。15時ごろにスーパーへ。ちょっとのつもりが2千円越え。あーあ。
夕方、浜辺を散歩。いつもより波が高く荒ぶっていた。どこかで地震でもあったんだろうか。あらゆるものが変化している。波も雲も太陽も常にそこにあるけど、昨日見た波や雲や太陽はもうそこにはない。自然はそうやって常に無常を教えてくれている。それを受け取るかはこころ次第。
久々にスマナサーラ長老の講話を読む。点と点がつながった。ある程度はもう理解できているという慢心があったことにも気付けた。初心を忘れないように。