スマナサーラさんの法話を読んでいたらこんな一文に出会った。

 

自分になんの中身も無いと、どうしても威張りたくなるもの。自我を張れば張るほど、その人は空っぽです。

 

俺が俺がとベラベラ喋り続ける人ほど、徹底的に自信がないのです。

 

中身が充実した人は、自我の幻覚にすがる必要がないから、謙虚に落ち着いていられるのです。

 

まるで自分のことを言われているようで、ドキッとしたと同時にスカッとした。

 

スマナサーラさん、ここに懺悔します。

僕は空っぽであることを認めたくないあまり、つい自我を張ってしまっています。

 

そのくせ自分のことは全く話さずに、他人の外見や欠点を見ては心の中で嘲笑っている、どうしようもない人間なんです。

 

分かっているのにやめられず、むしろその傾向はますますひどくなるばかりです。最近では他人のちょっとした言動によって被害妄想を膨らませることもあります。

 

そういう嫌な自分から逃れるために、ヴィパッサナー瞑想や慈悲の瞑想に執着しているんだと思います。だから瞑想を終えた途端、元に戻ってしまうんです。

 

もうこれ以上、苦しむのはごめんです。暗い気持ちで居続けたくもありません。明るく笑って穏やかに過ごしたい。広い心を持った人間でありたい。今はつくづくそう思うばかりです。