行動と結果には時差があることを知った。
移住1年目、僕は何かに追われるようにしてひたすら交流イベントに行き続けた。できる限り人と会うようにした。今まで避けてきたことをやっていけば何かしら変われるはずだと思いながら。
移住から丸1年後、実家にひょいと顔を出した。両親や旧友からは何だか変わったねと言われた。素直に嬉しかった。でも正直、実感はなかった。
それから半年後、ガス欠を起こした。「変わりたい」がいつの間にやら「変わらないといけない」に変わっていた。そして最後は「どうせ変われない」に変わった。
自分を受け入れられていない状態で人と話すのはとてもエネルギーを使う。この時期は近所のおばちゃんたちと会うことさえ億劫になっていた。
ある日の夕暮れ時、近くの海へ散歩に行くとそこには安らぎがあった。これだと思った。これを求めてここへ来たんだと改めて気付いた。
うっかり無理をしてしまっていた。経験を多くこなせば自然に変われると思ってしまったばかりに。確かに経験談は増えるかもしれない。それを聞いた他人はすごいと思ってくれるかもしれない。でも中身はそのままだ。
経験に執着していた。なぜ執着していたかといえば、今の自分に不満だったから。それから、僕がすごいと思う人は大抵、多くの経験を持っていたから。つまり、自分の物差しで自分自身をも測ってしまっていた。
そろそろ本当のことを書こう。承認欲求の権化である僕は、他人から一目置いてもらいたいがために多くの経験を欲していた。そのコレクションを見せびらかして「どうだ?」と悦に浸りたかった。こう書き出してみると小物感はんぱない。
「でもさ、そのことに気付けたこと自体、大きな変化なんじゃないの?」
ともう一人の僕が笑って言う。
