果たしてここまで調べる必要はあるのだろうか。吸ってしまえばどれも同じただの煙ではないか。どれほど丹念に調べたところで実際に吸ってみなければ本当のことは分からない。味覚は一人一人違うのだから。
トルストイの人生論を改めて読み始めている。人生の不条理に気付くと余計な苦しみを感じる羽目になる。彼の晩年はきっとひどく孤独なものだったのかもしれない。富や名声も彼にとっては重荷でしかなかった。彼自身は果たして偉大な教師たちの教えを実践できていたのだろうか。
全てに絶望すると視野は狭まり考えは独りよがりなものとなってしまう。 その結果、さらに絶望の淵へと追いやられる。偉大な教師たちが説くのは他でもないその対処法。
それはつまり無我と慈悲。自分というものは存在しない。それ故に自分が苦しむということもない。自分と他人という区別もない。それ故に他人を羨むこともない。
全ては一つ。
誰かが幸せになれば私やあなたも幸せになる。