朝起きてすぐKに連絡をした。案の定、彼もスニーカーと綿素材の服しか持っていなかった。ワークマンに安いのがあると伝えると、今日休みだしこれから行こうかとの返事。わざわざ車を出してくれることになり、夕方ごろワークマンへ向かった。

 

ワークマンに行くのはこれが初めてだった。デスクワークもやし野郎にとってそこは全く縁のない場所だった。店内を回りタグを確認しながら目当ての商品を探してゆく。

 

あれ買い物ってこんなに疲れるものだったっけ。普段どれほどアマゾンにどっぷり浸かっているかを思い知った。なんでもかんでもネットで完結できる生活は無駄がなく便利で、実際そうなることを願っていたのも事実だ。でも本当にこれでいいのだろうか。

 

不便さという余白が完ぺきな日常によってきっちりと埋められてゆく。その過程に喜びを感じ、それが達成されると今度は何だかとても息苦しい。

 

それでも一度詰め込まれたものはもう簡単には取り出せない。もしかしたら大事にすべきものを見誤っていたのかもしれない。

 

コロナはそんな私たちに問う。分断と制限。交錯する様々な情報、憶測、知られざる真実たち。日々募る不安と孤独感。武装された言葉。余裕をなくし傷付け罵り合う人々。絶望し自ら命を絶つ若者。

 

目を覆いたくなるような現実の中で、あなたが一番大事にしたいものは何か?と。

 

あれほど人間嫌いだった私も、今では他人とのつながりがとても愛おしくそしてありがたいと思うようになった。深い話ができる友人が一人でもいれば人生は何倍も素晴らしいものになる。

 

というよりもむしろ、それこそが人生の目的ともいえるかもしれない。たとえ疎遠になったとしても問題ない。そういう友人がいるという事実だけあれば十分。

 

そんなことを考えながら商品を探しているとふいにKが話しかけてきた。私は人生の目的を果たすことができたのかもしれない、と目の前にいるKを見つめてふと思った。

 

ワークマンを出たあと獅子ヶ谷にある横浜屋というラーメン屋へ行った。友人と飯を食べる、そんな当たり前のことが何だか妙に嬉しく感じた。