6時ごろふと目が覚めたので横になったまましばし瞑想をした。朝一の瞑想はやはり気持ちが良い。習慣にしたいと思うもののどうにも続かない。
朝食後ブログを書く。昨日の記憶をたどりながらのんびりと。それにしても記憶は実に頼りない。一日経つだけでかなり曖昧なものになってしまうのだから。なるべく持ち越さずその日のうちに書き終えるようにしよう。とはいえこのブログ自体も1日遅れで書いているわけだが。
書き終えてからぽけーっと一服。支度をしながら今日はどこのカフェに行くか考える。昨日までは近場のドトールに行く気満々だった。でも一日経ったらすっかり気が変わった。
そして結局ラチッタのサンマルクへ行くことにした。風はひんやりしているが陽に当たると暑いぐらい。このぐらいの気温ならまだまだランニングもできそうだと思った。
週末は激混みのサンマルクもさすがに平日だと空いている。注文待ちをしているとすぐ近くから私を呼ぶ声がしたが聞かないふりをする。声の主はチョコクロちゃん。あいにく今の私には愛するワッフルがいる。そのワッフルが家で待ってくれている。
するとチョコクロちゃんは落ち込む素振りを見せることもなくすぐにまた次の客に声を掛けていた。そういう小悪魔なところがきっと人々を魅了するのだろう。
パソコンを開き改めて昨日書いた2話目を読み返してみる。やはりまだ造作的で意図的な印象が拭えない。ひとまず昨日寝る前にふと浮かんだ言葉を書き加える。するとやや印象が変わった。それを機に話の流れも変わり始めた。
結局後半部分はまるまる削除した。綺麗にまとめようとするあまり肝心の主題がぼやけてしまうことはよくあるものだ。物語としては成立するかもしれないが訓話にはならない。それはまるでインスタント食品のようなもの。そうなってしまわないようにあらゆる意図から離れよう。
カップルらしき客が近くの席に座った。静かな店内なので自然と会話が耳に入ってくる。話の内容からいって友達同士のようだった。男側はたぶん気があるのだろうが明らかに脈は無さそうだった。微笑ましく思うのはきっとそれだけ私が歳を取ったということなんだろう。
しばらくしてまた近くの席に新しい客が座った。その瞬間、注文したばかりのコーヒーを盛大に倒した。その客はぶつぶつと怒りの感情を露わにする。そのままどこか別の席へと移っていった。他人の怒りはやはり慣れない。
親父は怒るとよく物に当たる人だった。何気ない一言でスイッチが入りそこから一気に沸点まで達する。そして達したと同時に近くにある物をお構いなしに投げる。灰皿、食卓、ゲーム機など様々だった。
どんな言葉で切れるか分からないのでとにかく刺激しないようにだけ気を付けた。そんな感じで小さい頃からずっと親父に気を遣いながら生きてきた。子どもなのに子どものように振る舞えないのは正直辛かった。
わがままを言う人や自由気ままな人を見て腹が立ってしまうのはきっとそこに原因があるのだと思う。そして人が怒る=物を投げるというイメージがあるのでどうしても身の危険を感じずにはいられない。
自分に向けられた怒りじゃなくてもそれは変わらない。要するにトラウマだ。これまで誰にも話したことはなかったが、この先もし心から信頼できるような人に出会えたら真っ先に打ち明けたいと思っている。
そんなこともあり、コーヒーをこぼしたその客に対しても内心冷や冷やドキドキしていた。そのときはなんて小心者なんだろうと自分を責める他なかった。
でも今こうして書き出してみるとそれが過去のトラウマによるものだったと気付けて心が軽くなった。
さてぼちぼち帰るとしよう。愛しのワッフルが待つあの家へ。