幸図書館のことを調べていたら偶然「アジアンドキュメンタリー」を知る。ドキュメンタリー。それはこの世界のどこかにいる別の誰かの日常を切り取ったもの。
私にとって悲惨に思えるその光景も彼らにとってはごく当たり前の風景に過ぎない。逆に彼らの方も私たちの日常を悲惨だと思っているかもしれない。
でももし私の中に世界があるとしたらどうだろう?つまり目の前に広がるこの世界はただの投影に過ぎずそこには何も実在しない。
そんな風に考えると「悲惨な何か」はたちまちどこかに消え去ってしまう。世界のことは世界にまかせておけばいい。それに気を取られて自分のやるべきことを疎かにしてはいけない。
サンマルクへ。jbの続き。過去回想。ホームセンターで働き始めるあたり。文体を統一させることの難しさを知る。日々考えは変わる。いや、統一させようと思うから余計に難しいと感じるのかもしれない。自然にまかせよう。
行き詰まったので久々に短編を読み返すことにした。ああ、何だか生き生きとしている。私には短編の方が合っているのかもしれない。
近くの席で二人の男がサイドビジネスの話をしている。ノウハウを売る側と買う側。お金を得るためにお金を払う。こうして売る側はますます富み栄えてゆく。資本主義の縮図。