第1節第1章~
持つこととあることの違いの理解
消費することは持つことの一部であり、それは能動的ではなく非能動的な行動であるらしい。
あることよりも持つことの方が重要視され始めたのは、動詞よりも名詞が使われるようになった時代と一致する。つまり問題が「ある」から問題を「持っている」という風に。
テニソンは所有することを欲し、芭蕉はひたすら観ることを求めた。
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2018/1/30
第1節 第2章~
日常経験における持つこととあること
両者の一番の違いは能動的であるか否かにある。たくさんの知識を持ち自己満足に浸るのではなく、深く知りそれを他人のために活かすことが大切。
信頼も大事だが同時にまた疑うことも忘れてはいけない。権威があるという理由だけで信じるのは最も危険なことである。自分や相手が何を持っているかなど本当に些細なことでしかない。
どのような人や場面を前にしても臆せず自然体の自分でいること。
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2018/1/31
第1節第3章
旧約聖書にでてくる人物の中で、一番最初に所有物を放棄したのはエイブラハムである。だだっ広い荒野において財産は全く何の価値も持たない。
仏陀も神も偶像崇拝を認めない。そこにまた執着が生まれてしまうからである。時代が変わっても人間の弱さは変わらない。
極端な禁欲的生活もまた良くないと神学者のエックハルトは指摘する。仏教でいう中道が大切である。中道とは間を取ることではなく、状況をよく観察し偏りのない判断をすること。
自我は嫌でもついてくる。否定するのではなく、上手く付き合う術を知ること。
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2018/2/4
第1節第4章
持つ様式においては持っているもので自分の価値が示される。
何も持っていないとすればその人は無価値ということになる。必ずしも物である必要はない。例えば家父長制によって妻や子供を支配するといったように。
ある弱点を隠すためにその逆のことを過度に強調することを過剰補償という。あくまで防衛反応に過ぎず、純粋にそのことを支持しているわけではない。
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2018/2/5
第2節第5章
「ある」こととは所有物に頼らないこと。
能動的な行動とは必ずしも何かを生産することではない。人は報酬のために働くと思いがちだが、それだけでなく重要感や奉仕的精神を満たすことも求めている。この考えはカーネギーの人を動かすとも共通する。
行動は真実ではない。他人に見せる自我の一部分に過ぎず、そこに人間性が現れることはない。
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2018/2/6
第2節第6章
持つ様式でいる限り真に満たされることはなく、ますます貪欲になるばかりである。手に入れたら今度はそれを守る必要が出てくる。
権威主義体制においては、政治や宗教は他人を統制するためにしばしば利用される。
ある様式は分かち合うことに喜びを見出すので必ずしも所有する必要がない。恋愛関係に応用すれば嫉妬や駆け引きなどに悩まされることもなくなる。
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2018/2/7
第2節7章
ヨーロッパがキリスト教化したのはローマ帝国時代のとき。イデオロギーとしての側面が強い。
母性とは慈悲と同情からなるもので、態度によらず絶えず与えられる。父性は合理的であり、態度によって簡単に失われる。
マルクスは資本主義を通して人間の在るべき姿を説いている。つまり労働時間を減らし消費を減らすことである。効率を重視する社会に合わせるあまり、社会的性格が発達しすぎてしまっている人が多い。そのせいで自然な振る舞いや心遣いがこの社会からはほとんど取り除かれている。休日はなるべく都会から離れ自然の中に身を置くこと。
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2018/2/8
第2節第8章
問題を解決するための第一歩は問題があることを認めその原因を知ること。原因が分からなければ解決することもままならない。
どんなに鋭い洞察を得たとしても実践しなければ無効的である。外の刺激に振り回されず自ら定めた目標に集中すること。しかし達成することにこだわり過ぎるとそれは貪欲となる。過程を楽しみそこに喜びを見い出すことが幸福への近道。
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2018/2/9
最終章
新しい人間と新しい世界の実現には金・名声・知識といった古い価値観からの脱却が必要である。世の中の広告や宣伝に振り回されてはいけない。
あることとはつまり、自らの基準に沿って判断し動くこと。