また母とこれからのことについて話した。過疎地では古民家をただ同然で売っているところもあるらしい。ゆくゆくはそこで親父と二人カフェを開きたいのだという。

現実的な日常は突然の出来事によって一瞬で崩れ去ってしまうことを去年学んだ。物事は不安定で無常だ。そう思いながらも安定した収入を求める自分も確かにいる。まだ完全には受け入れられていないのだ。

 

その原因は他人との相対的な比較にある。ある程度の収入があれば余裕が生まれ落ち着いた生活が送れる。仮にそれが優だとするならば、そうではない自分は劣というわけだ。

知らないうちにそんな凝り固まった思考に踊らされて、その挙げ句一人で勝手に不安になっている。そもそも他人と比べる必要はどこにもない。この根底にあるのは自信のなさと他人への妬み嫉み恨みである。

 

それらに無理矢理ふたをしてもまたすぐに飛び出してくるだけだ。ならばいっそ外に出してしまえばいい。せっかく外に出すならば良い言葉に変えてみよう。

まずは他人の成功を自分のことのように喜ぶ。その時自分の存在をちっぽけだと思ってしまったらそれも隠さず出してしまうこと。プライドや見栄もこの際全部投げ捨ててしまおう。

負けていい。劣っていい。下に見られていい。誤解されていい。かっこ悪くていい。昨日の自分より少しでも成長できていればそれでもう十分。主役はあくまで自分。他人の基準に合わせる必要なんてない。