ふとヨーガ・ヴァーシシュタという本を見つけて早速読んでみた。私が疑問に感じていたことがそっくりそのまま書かれてあって、ただただ驚くしかなかった。

 

聖者の言うとおり、この世界が実在しないとしたら、全ての行為は虚しいだけだ。あるときから私はそんな風に考えるようになり、すっかり無気力になってしまった。

 

それでこの道は間違っていると勝手に解釈して引き返した。全て元通りになった。それからは心の赴くままにさせた。好き嫌い、こだわり、感情、性欲、娯楽、空想など好き放題だった。

 

これでいいんだと言い聞かせた。でなければ廃人のようになってしまうだけなのだから。そうして約半年が過ぎてこの本に出会って、あの道は間違っていなかったのだと知った。

 

以下黙想による気付き。

 

全てが虚しく思えることは過程上、避けられないことだ。でもこれもあくまで過程の一部でしかない。問題はその状態に留まってしまうことにある。さらにそこから先に進まなくてはいけない。

 

そうすると「あるがまま」の状態となる。それは望むことも拒むことも喜びも苦しみも執着も渇望も嫌悪も何もない状態。自分が行為者でないことを自覚しつつ、その時必要なことをただ淡々と行う。

 

聖者が手放しなさいと言うとき、それは目に見えないただ一つのものだけを指している。そのために世捨て人になる必要はない。苦行も巡礼も出家さえもいらない。そのままで十分達成できる。

 

その手放すべきものとは何か。

あなたはずっと前からもうそれを知っている。