「させていただく」の用法について調べていたら、たまたま文化庁のくぎり符号の使ひ方にたどりついた。1947年に書かれたものらしいが、存外平易で読みやすかった。
実は「――」の意味がずっと分からずにいた。その資料によれば、これはナカセンと読み、話頭をかわすときや余韻をもたせる場合に用いるものらしい。なるほど――。
他にも様々な資料(国語表記の基準・国語シリーズ)があってしばらく読み漁った。気付けば12時をゆうに過ぎていた。14時からN氏と会うことになっていたので、急いでおにぎりを食べて支度をした。雨は降っていなかった。
今日はあいにく話の噛み合わない方のN氏だったらしい。Sのことで質問をしても全く見当違いの答えが返ってくる。質問し直そうとも思ったが、もう何を言っても駄目だろうと早々に諦めた。本当に掴めない人だ。
僕は自分のことを人間嫌いだと思っていた。でももし本当に人間嫌いなら、こうして3時間も他人の話に付き合うことなどしないはずだし、そもそも会うことさえしないはずだ。
要するに、他人の求めに応え過ぎてしまうお人好しな自分が嫌いなだけだ。僕と会った人は大抵、話を聞いてくれてありがとうと言う。こちらとしては何だか損をしたような気分で実はあまり嬉しくない。
しばらく人と会うのはよそうと思うものの、誘いが来ればやはりまた安易に応じてしまう。以降その繰り返し。自分を貫き通すことと、周りから良く見られることを両立させようとするからこうなる。自分にとって一番大切なものは何か、今一度よく考えてみよう。