とはいえ、そういう自分もこうして結局周りを気にしているのだから全くお互いさまだといえる。安定というぬるま湯にどっぷりと浸かってしまうと途端に人生は味気ないものになる。多少の不安定さは必要なのかもしれない。
夜は中野といつもの焼肉屋へ行きその後カフェへ。彼女という存在についてしばし話した。彼曰く、弱みを見せないことが私の欠点なのらしい。さらにもっと良い人がいるかもしれないと一度でも考えてしまうと、どの時点で決めればよいか分からなくなる。良い人はごまんといる。それなのに一向に彼女ができないのは自分に原因があるからだ。
彼は結局今週ずっと仕事がなかったらしい。これからのことを考えるときっと不安で仕方がないだろう。どん底だった20代前半の頃の私を見ているような気分だった。
苦しんだ分だけ喜びもまた大きい。スペインかどこかの国のことわざに「涙とともに食べたパンの味は一生忘れない」というものがあるらしいが、そのとおりだなとしみじみ思う。どんな状況にあっても他人に優しくできること。それがきっと本当の強さなのだと。
今こうして彼に不満や苛立ちを感じることなく理解を示すことができているのは、あの頃の苦い経験があったからこそ。無駄なことは一つもない。取るに足りない小さな出来事たちが大きな学びとなる。
彼もまた、涙とともに食べたこのタン塩の味を一生忘れずにいるのだろうか。それとも。いいや、余計な思索はやめて今はただタン塩に酔いしれるとしよう。