国道1号線沿いを横浜方面に向かって歩いた。この暑さが頭の中のガラクタを何とかしてくれるなんて期待しながら。行き交う車の多さに比べて人通りはそこそこだった。ランニングをする人がやけに多かった。
ニトリ手前のあさくまは店外まで行列ができていた。家を出たのは確か10時半だったので彼らにとってこれは遅めの朝食になるのだろうか。それとも早めの昼食か。どちらにしても少食の私には絶対にできない芸当であることは確かだ。
橋を渡る。風が気持ちいい。しかしそんな清々しさを鶴見川のドブ臭さが一掃する。快晴の日には川から1キロ離れた私の住む家まで漂ってくるほど強烈だ。
鶴見川沿いのマンションに住んでいる人はさぞ洗濯物で悩まれていることだろう。この地においてリバーサイドとは臭いますよの隠語である。
フォルクス、サーティワン、マクドナルドを通り過ぎてゆく。このサーティワンは小さい頃によく両親と車で来ていたいわば思い出の場所。注文はいつも決まってチョコミントと口の中でぱちぱち弾けるやつのダブルだった。
そしてしばらく歩くと島忠が、無い。建て替えのため閉店と書かれていた。この書き方だと建て替え後は島忠以外の何かになるのだろう。今使っているダイニングテーブルはこの島忠で買ったものだ。そして小学生の夏休みにカブトムシを買ってもらったのもたぶんここだったと思う。
この藍屋は何だか見覚えがあると思ったら、去年Nと車で来た場所だった。Nとはそれっきり会っていない。元気に過ごしているだろうか。
頼っていたのは私の方だったと今になって思う。そして気付かぬうちに傷つけてしまっていたということにも。喧嘩別れしたわけでも嫌いになったわけでもない。でもこれから先会うことはもうきっとないと思う。
菊名駅のにぎやかな商店街を通り過ぎる。人々がいつも通りの日常を過ごしている中、私はこうしていつもと違うことをしている。
たとえ自分の日常の範囲を超えてどこか見知らぬ場所へ行っても、そこにはまた別の誰かにとっての日常がある。人里離れて山奥へ入ってもそこには動物たちの日常がある。それゆえに日常から逃れることはできない。それなのに私は「ここではないどこか」をずっと探し求めている。
道が二手に分かれて間もなく東神奈川駅に着いた。親父がかつて入院していた病院を眺める。あれからもう4年も経ったのかとしばし感慨に耽る。
20代の終わりは駆け足であっけなく去っていった。友人と会う機会も減って思い出らしい思い出もあまりない。その代わり多くの気付きがあった。
ブッダの教えに傾倒したのもちょうどこの頃で見事なまでの厭世主義者になっていた。でもその教えはブッダの死後その弟子たちによって書かれたものと知って、全てを鵜呑みにするのは良くないなと思い直した。
ブッダがバラモン教の人々に教えを説く場面で、まずはじめに言ったこと。それこそがきっとブッダの真意なのだと思う。
だんだんと思い出の地巡りという様相を呈してきていることに気付いた。だが、場所に思い出ありとも言うのだしこれは仕方のないことなのかもしれない。一つ残念なのは頭の中のガラクタがまだまだご健在だということ。
そもそもそのガラクタとは何だったか。思い出に浸るうちにそれさえすっかり忘れてしまった。でも確かにまだある。いや元からそんなもの無かったのか。分からない。何もかも。
イオンのドトールでミラノサンドCをかぶりついた後、しばしまったりと読書をした。このまま電車で帰っちゃおうかなとも思ったが、気を持ち直して来た道をゆっくりと引き返した。
往復4時間。全18キロ。
来週は東京方面、戸越銀座あたりまで。