運営サイトのコードを一部修正してからというもの、外部APIからの情報がうまく取得できていないことに気付いた。APIの管理画面を見るとアクセス自体がない。ソースコード側に問題があるらしい。ひとまずテストサーバーで試してみるも異常なし。うむむ。

 

コードを一行ずつ確認してゆく。メモを残しておいてくれた過去の自分に心から感謝した。これがなければきっと途中で解読をやめて放り出していたことだろう。結局、原因は不要なif文の消し忘れとAPIに送るクエリ文字列の誤りという単純なものだった。今回のこともすかさずメモをした。

 

コードを書いていても仕事という感じは全くしない。それはきっと、やらされていないからなのだと思う。自らこうしようと思っていることを自らの手で形にする。そこに他者の介入はない。それが最高に気持ちいい。

 

客からの修正依頼はとにかく「それやる意味あるの?」というものが多かった。だが仕事である以上こちらに拒否権はない。なので泣く泣く対応をする。すると今度はその修正に対する修正という全く不毛な依頼が発生する。そしてまた泣く泣く対応をする。

 

それを繰り返すうちに、他人の都合に振り回されることがほとほと嫌になった。お金を得るというただそれだけの理由で自らの時間を犠牲にしてしまって本当にいいのだろうか。

 

そう考えるようになってから間もなくTとの協業関係を解消した。それが今年の7月のこと。それ以来とても心穏やかな日々を過ごせている。

 

関わる人が多いほど物事はより複雑になる。人それぞれ感じ方が違うのだから無理もない。それにそもそも、人間は物事を複雑にしたがるものだ。まるで積み木遊びに熱中する子供のように積んで崩してを延々繰り返している。

 

成長神話が滅びない限りずっと、物事は複雑になり続けることだろう。そして人間は変わることなく、同じことでずっと悩み続けるのだろう。