あっという間の一週間だった。正直今まで生きてきた中で一番精神的に危なかったと思う。まず些細なことが許せなくなっていた。公共の場にいるとき、ここで急に騒いだらどうなるだろうという衝動的な妄想に駆られるようになった。生きることへの意欲が薄れていった。

 

なぜこんな風になってしまったのか原因を探ることにした。だが考えるまでもなくそれは、果たすべきことをせず逆に抑圧したからである。事実、小説を書くのをやめたのとほぼ同時にこの状態に陥った。そこでの欲求不満が狂気となって外へと向けられてしまったということだ。

 

こんな風に病んだとき、今までの私なら間違いなくそんな自分を思いっきり笑い飛ばしていたはずだ。だからこそ救われていた。それが今はどうだ。思いっきりドン引きしてしまっている。なぜならそこにユーモアがないから。つまり深刻な顔をして自虐ネタを言っているようなものだ。全く笑えるわけがない。結果として冗談は本気となってしまい言った本人もそう扱わざる負えなくなる。

 

自分を抑圧したことで狂気が生まれた。そしてその狂気を解放するためにはユーモアが必要だった。それを無くしたせいで私はこうして堕ち続ける羽目になった。何よりも大切なのはユーモアだと気付きそれを取り戻すことができた今、私は自分のそのあまりのシリアスさに思わず笑うのである。心はすっかり軽くなった。閉塞感ももうない。救って、救われた。とんだ一人相撲だった。

 

●今日のこと

もやもやしていたので1時間ほど瞑想に耽る。湯河原・小田原のことを調べる。水平線の見られる場所へ行きたくなったため。アマゾンプライムでふと目に入った「voyage」という映画をなんとなしに観る。女性の素っ裸ってどうして全くそそられないのだろう。何となくバランスが悪いというか。下着を付けているときはあれほど魅力的なのに。自分の体に見慣れているからというのもあるかもしれない。