ホッブズのリヴァイアサンを読んでいたらふとした一文に心をグサリとやられた。自覚していることを見事に言い当てられたとき、人間はただ力無く笑うのだと知った。

 

せっかくなのでたまった膿を全部出し切ってやろうと思う。これを書き終えたとき私はまたきっと力無く笑っていることに違いない。

 

私はこれまでずっと虚栄心に支えられて生きてきた。それがあったことで劣等感や他人への羨望も何とか乗り越えることができた。

 

本来努力するべきところで全くそれをしなかった。そうして他人を蔑んでばかりいた。何もしていないのに自己評価だけは高かった。なぜなら虚栄心に支えられていたから。

 

私は何でもできた。できる範囲のことしかやらないのだから当然だ。難しそうなことやできそうにないことはもっともらしい理由を付けて避けてきた。単にできないと言うのは癪だった。自分の中にある「何でもこなせる有能な人間」というイメージを壊したくなかった。

 

私の人生に登場する人々は皆優しかった。それが余計に自分をみじめにさせた。自分に非があることは十分自覚していたから。

 

そのうち彼らと距離を置くようになった。粗を探して見下そうとしてしまう自分に嫌気が差して。これ以上もう自分を罵ることはしたくなかった。

 

私は1人でいることが好きなんだと思っていた。でも嫌いじゃないだけなんだとそのうちに気付いた。誰とも一緒にいられないなら1人でいるしかない。だからこうして1人でいる。ただそれだけのことだった。

 

とはいえ、1人で居続けることは辛く寂しい。誰かといてもその穴が埋まらないことも分かっている。そうなるともう本や映画に救いを求める他なかった。

 

本当はずっと誰かに注目して欲しかった。重要だと思われたかった。認められたかった。自殺や殺人が頭によぎったこともある。本意ではないにしてもそういうことを考えてしまう自分がひどく恐ろしかった。

 

紙一重なのだと改めて思った。その一線を越えるには些細なきっかけ一つあればいい。誰もがきっとそういうぎりぎりのところに立っている。すべてに絶望し心が完全に砕けたとき、人はもう堕ちるしかない。そのことを忘れちゃいけない。

 

自らの命や他人を犠牲にしてまで注目を集めたいなんてアホの極みだ。でもそんなアホなことを真面目に考えてしまったのは紛れもない事実。真向から否定したら嘘をつくことになる。だからまずはちゃんと受け入れてそのあとでこう言おう。このばかちん。

 

深刻に考え過ぎると本当にろくなことがない。一人の世界にどっぷり入り込んで何も受け入れられなくなる。より良く生きることについて考えれば考えるほど状況は悪くなる一方だ。

 

人生は単なるバカゲー。そう割り切るぐらいがきっとちょうどいい。

 

●今日のこと

午前中はホッブズのリヴァイアサンを読む。午後からベローチェへ行って続きを読む。17時過ぎ退店。南町からラチッタを通り柳町へ。鮮やかな夕暮れ。