駅まで戻り那智駅に向かった。駅員も改札機も券売機さえもないとことんローカルな駅だった。あれ、じゃあ切符はどうやって買うんだろう。それはまた帰る時に考えるとしよう。
待ち時間は30分。普段は余分でしかないこの時間も、旅先になると途端に彩りを添えるスパイスへと早変わりしてしまうから不思議だ。地元の人々や遠くの山々をぼけっと眺めていると、何だかとてつもなく贅沢をしている気分になった。
まもなくバスがやって来た。先客は6名ほど。後ろから乗って整理券を取る仕組みだった。料金は後払い。お釣りのないように料金を投入する必要があるがあいにく細かいのがない。今のうちに両替しようかなと思ったが結局やめた。お約束通り、後々焦る羽目になった。先延ばしはダメ。ゼッタイ。
バス停を降りるとすぐそばに鳥居があった。その鳥居をくぐり石段を降りてゆくと正面に滝が見えた。自然のミストが暑さを忘れさせてくれた。大いなる自然の前ではあらゆるものがちっぽけなもののように思えてくる。自然はただそこに在る。気が向かないからと滝の流れを止めるようなこともない。
バス停の方まで戻りそのまま車道沿いを歩くと土産屋があった。そこでソフトクリームを買って小休止。お店の方々は世間話に花を咲かせていた。僕にとっては観光地だけど彼らにとっては日常の中の一場面でしかない。
そのまま車道を進むと那智大社の入り口にたどり着いた。
階段を上る気力が無かったのでそのまま大門坂を下ることにした。思ったよりも距離があった。上りだったらきっと途中で挫けていたと思う。
すれ違った年配の女性がもうすぐ着くかしら?と尋ねてきた。気持ちを折ってしまわないようにもうすぐですよと嘘をついた。でもよくよく考えてみると、まだまだですよと答えた方が良かったのかもしれない。
もうすぐだと思いながら全然着かない時の方がむしろ気持ちは折れてしまうような気がする。自分ならまだまだだと思いながら歩く方がいい。正解は人によって違うからこそ余計に難しい。
大門坂バス停に着いたのは12時20分ごろ。時刻表を見ると次は13時過ぎ。車道を少し下ると割と大きめの土産物屋があった。トイレを済ませてから外に出ると目の前をバスが通過した。ん?と思い再び時刻表を見ると12時台にも一本あったらしい。完全に見逃していた。待合席に座ってしばしぼーっとする。これもこれでいいか。
帰りのバスの乗客は自分を入れて3名だけだった。ひとまず電車で新宮駅まで戻ることにした。待ち時間は30分。待合席でぼんやりしているとおじさんが今日って何曜日ですかと尋ねてきた。そういえば何曜日だっけと携帯の画面を見ると木曜だった。全く実感が無かった。
切符の謎はすぐに解けた。乗車時に整理券を取って降りる時にそれと一緒に運賃を運転士に渡せばいいだけだった。終点の新宮駅のみ改札口の駅員に渡すらしい。
熊野市でもう一泊したいと思いY氏に電話を入れた。電話をかけるのってどれくらいぶりだろう。意外と緊張せずに話せたので良かった。幸い部屋も空いていた。
次の電車まで1時間あったので、昼食と時間つぶしを兼ねて駅前の喫茶店じょいふるへ向かった。客は無い。チキンピラフとアイスティーを注文。なかなか食べ応えがあった。アイスティーと一緒にビスコを出してくれてちょっと嬉しかった。Kindleを取り出して優雅に読書タイム。快適快適。
16時過ぎに熊野市駅に到着。降りた瞬間に不思議と、ああ帰ってきたという感覚になった。どうしてこんなにしっくりと来るのだろう。このもわっとした気候はどうやら熊野市駅特有のものらしい。
宿に着くとY氏の他に庭の手入れをするおじさんがいた。改めて帰ってきたと思った。すぐにシャワーを浴びてそれから洗濯をした。物干し竿にかけていると黒猫ちゃんがいた。にゃあんと甘てくるくせに近付くと逃げてゆく。本当にもうしょうがない子だなあと鼻の下が伸びる。その行く先にはもう一匹黒猫がいた。
管理人に聞くと野良猫らしい。他にも数匹いるとのこと。野良にしては毛並みが綺麗だった。普段から良いものを食べているのだろう。
夕食は地元の蕎麦屋へ連れていってもらえることになった。天ぷらそば美味かったなあ。Y氏には本当に何から何までお世話になりっぱなしだ。
宿に帰ってきてから再び雑談。青春時代の話やこれからの話をした。Y氏はいずれシェアハウスをやりたいのだと言う。それからどういうシェアハウスにしたいかという妄想をした。結論としては「自分を見つめ直すためのシェアハウス」ということになった。実現したらぜひ入居したい。
23時ごろお開きとなった。今日は一階で寝ることにした。布団を一階に降ろすとき階段が狭くてなかなか難儀した。熊野ともいよいよ今日でお別れ。本当はもっといたかったけど、そうなるとキリがない。行き方はもう分かったわけだしいつだって来れる。必ずまた戻ってこようと心に誓いながら床に着いた。やっぱり全然寝付けなかった。