あてもなく自転車を走らせた。喫茶店に入ってナポリタンを食べた。さらに走ると景色は次第にのどかな原風景へと変わった。車はほとんど通らない。民家もポツポツとあるばかり。聞こえるのは鳥の鳴き声だけ。
この道はまるで僕の人生のようだ。どこまで行ってもどこにも辿り着かないし、かといって途中で止まることもできない。周りを見ても誰もいない。
閉塞感は都会にいるせいだと思っていた。あの無機質なコンクリートに囲まれた非人間的な暮らしがいけないんだと決め付けていた。ところがどっこい、自然に囲まれてみてもちっとも何にも変わらなかった。
原因はすべて自分にあった。ここに来てようやくそのことが実感できた。結局やっぱり自分次第。与えられるのを待つばかりじゃだめ。自ら求めに行くことも時には必要。
実家にいると自然と与えられることが多くなる。それが当たり前になってしまうとこうして外に出たときに苦労する。これまで隠されてきた部分がはっきりと見えるようになると、生きることはそれほど単純じゃないと気付く。
これまでやってこなかったことをやるのだから当然最初は失敗する。そもそも失敗すること自体にも慣れていないからなかなかやろうとしない。そうして時間だけが無為に過ぎてゆく。自分のポンコツぶりに半ば呆れ絶望する。
そんな葛藤なんて他人は全くお構いなし。説明してもきっと理解してもらえないだろう。だから少しずつ慣れてゆくしかない。無理に自分を取り繕ったり卑下する必要はない。気の利いたことや言いたかったことが言えなくても気にしない。また次がある。
日が経つにつれてここに住みたいという当初の情熱もだいぶ冷めてきている。ふと冷静になって考えてみると、小田原あたりでもいいような気がしてきた。