僕は君のことがもっと知りたいと思う。でも別に普段どんなことをしているかとか、どんな人たちと付き合っているかとか、どういう趣味を持っているかとか、そういう表面上のことが知りたいわけじゃない。
僕が知りたいのはもっと内なることだ。それにはいろいろな呼び方があると思うけど、ひとまずここでは「こころ」としておこう。君の金型であり、君の原因であり、君の最小単位でもあるそれを僕はどうしても放っておかずにはいられない。
そして、できれば君にも僕のそれを知ってもらいたいと思う。その二つの望みが果たされたとき、はじめて僕らの間に対話が生まれると思うんだ。その橋の真ん中で君とハイタッチするその日まで、僕はこちら側から絶えず君に手を振っておくとしよう。
僕らがそうやって対話を積み重ねていけば、いつか完全に分かり合える日だって来るだろう。と言いたいところだけど、残念ながらそれはたぶん叶わない。
僕らはそれぞれ孤島に住んでいる。船で近づくことはできるけど降りることはできない。自分以外の誰にも上陸許可はないからだ。
その孤島の中で、僕らは日々せっせと偏見を集めている。偏見が先か、こころが先か僕にはさっぱり分からないけど、とにかく僕らはそういうあやふやな場所に立っている。
かのアインシュタインはこんな言葉を残している。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
君のことを知ることで、僕は自分の非常識さに気づくことができる。つまり、君を知るということは自分を知るということだ。ということは自分を知れば君を知ることにもなるのだろうか。
あるいは、これもただの偏見に過ぎないのだろうか。それを知るためにも、やはり僕は君のことが知りたいと願う。