思えば逃げてばかりの人生だった。その度に自分に言い訳をして、逃げるのは仕方ないことなんだと思い込ませてきた。怖くて逃げたというその事実からも逃げるように。

 

これまで一体どんなことから逃げてきたのか、思い出せる範囲で書き出してみたい。まずは中学生時代から。

 

弁論大会。

みんなの前で発表するのが嫌なあまり忘れたふりをし続けた。クラスの中には同じように不毛な抵抗を続ける者が数名いた。彼らの存在があったからこそ、僕も最後まで悪びれずに逃げ続けることができた。

 

ボキャブラリーコンテスト。

学年全体で行われた全100問の英単語テスト。英単語を覚えるのが大好きだった僕はもちろん満点を取る気満々でいた。が、テスト3日前「満点を取った人は全校集会のときに表彰される」と知り、その方針をさらりと変えた。迎えた当日、わざと2問間違えてあえなくその難を免れた。

 

高校時代は特にこれといったエピソードはい。いわゆるヤンキーがいなかったので伸び伸びやれたのと、軽音学部に入ったことが大きかったのかもしれない。

 

この調子でいけるかと思われたが、残念ながらそれは叶わなかった。20代になってからまた逃げ癖が再発した。

 

店内放送。

ホームセンターで働いていた頃、これがどうにも嫌で自分の担当日にズル休みをした。店内にいる人全員に自分の声が聞かれるなんて、僕にとっては単なる公開処刑でしかなかった。結局これが原因となってその後すぐに辞めた。

 

定例報告会

上位取引先主催の定例報告会という強制参加イベントにおいて、回ってきたマイクをさらっと華麗に次の方へ受け流すという荒業をやってのけた。

 

帰社後すぐに上司に対し「次回からはできれば役職付きの人に参加してもらいたいと先方に言われました」などともっともらしい大嘘をつき、以降一度もその会議には参加しなかった。

 

都会。

ある日ドトールで注文待ちをしていたら、自分の番が近づくたびに心臓がドギマギして妙にそわそわするという謎の現象に見舞われた。

 

ちゃんと注文を伝えられるだろうかと心配になり、喉の奥がきゅっと締まるような息苦しさを覚えた。後ろを見ればずらりと人が並んでいてそれがまたプレッシャーにもなった。

 

どうにか注文はできたものの、それ以来他人と接触することや人ごみがどうにも怖くなってしまった。それからまもなく一人旅で熊野を訪れて、その何にもない環境がピッタリとはまりその半年後に移住した。

 

移住といっても、フタを開けてみればただ都会から逃げ出しただけのこと。だからこそ他の移住者を見るとどうにもまぶしく見えて仕方がない。

 

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つい最近アドラー心理学を読み直して、もうこれ以上逃げたくはないと思い直した。そのときは良かったと思えるけど、結果的には何も良いことはない。むしろますます状況は悪くなるばかり。

 

それを繰り返していけばそのうち、これまで普通にできていたことさえもできなくなってしまうだろう。

 

逃げてもいいことだってもちろんある。でもそれと同じぐらい、逃げなくてもいいことだってある。大事なのはその見極めだ。僕がこれまで逃げてきてしまったことたち、その一つ一つと改めて向き合ってみたい。

 

そして、最後にもう一度だけ逃げたいと思う。

 

こう決意してからやたらと悪夢にうなされることが多くなった。無意識下にある変わりたくないと願う自分が必死に抵抗しているのだろうと思う。そして夢の中の自分はそれと必死に戦ってくれている。

 

朝目覚めるとまずほっとする。それから、あの悪夢を乗り越えられたのだから現実だってへっちゃらだと自分に言い聞かせる。

 

昨日思い切ってオンラインカウンセリングの予約をした。ただ予約ボタンを押すだけのことだったが、それでもとても緊張した。それから興味のあった資格講座にも申し込んだ。少し前の自分からは全く考えられないことだ。

 

でも必要以上に頑張ることはしない。息切れするのは目に見えている。何でもいいからとにかく最低一日一つ、これまでやっていないことをやる。やることはただそれだけ。やらなかった日があってもまあいっかと大目に見る。そのぐらいゆる~くきら~くに。