午前の瞑想をまた日課にすることにした。ここ最近は新たな経験を求めるあまり、心が外を向いてばかりだった。
でもよくよく考えてみれば、熊野に来てからもたくさんの経験があった。どこかへ行かなくても、このままここにいながらだって新たな経験はきっとできる。
そもそもここに来た理由は「なるべく何もせずに暮らしそのものを楽しむため」だった。それがいつの間にやらパターン化した生活に飽き始めて、別の何かを追い求めるようになっていた。
本当はこのままでもいいのに、つい周りと比べてなんてつまらない人生だろうと卑下する。染み付いた癖はなかなか抜けない。
以前はそういう自分が全く受け入れられなかったけど、今はだいぶ受け入れられるようになってきた。前の日記でも同じようなことを書いた気がするけど、まあいっか。
自分に対してどれだけ理想を押し付けても、ただ余計に現実を思い知るだけ。結局は為るようにしか成らない。でも理想に近づくための努力が無意味だとは全然思わない。だってそれ自体に意味があるから。
僕は僕のようにしか生きられないし、あなたはあなたのようにしか生きられない。そうなるまでの間が人生なら、その間にいる人こそ人間と呼べるのかもしれない。
できれば僕もそんな人間でありたいと願う。