第1章:2018.4.3

トルストイはショーペンハウエルのことをあまり評価していない節があるが、考え方の根底にあるものはどうも似ている気がする。

時間とは人間が作ったもので、もともと地球には存在していなかった。それを基準にするから矛盾が生まれる。死とは時間を超えること。実際眠っている間はどのくらい時間が経っているか分からない。目覚めたときに初めて分かる。

時間の内側にいる限り死を経験することはできない。
そして死んだ時にはもう意識はないため、やはりまた経験することができない。

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第2章:2018.4.4

憧れていたものを手に入れることは、すなわちそれを虚しいと悟ることである。
何かを獲得するのが第1の課題で、その獲得したものをそれと感じさせないのが第2の課題である。そうでなければそれ自体が重荷となる。

人々を動かす原動力は突き止めるところ飢餓と性欲の2つ。
困窮を乗り越えると退屈がある。人生とは味気なく空虚なもの。

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第3章:2018.4.5

人生とは刑務所のようなもの。
人は皆すべて過去に犯した罪の償いをさせられている。そのことに気付かない限り輪廻し続ける。人が快楽に溺れるのはそれが目的だと思い込んでいるため。苦しみから逃れるための手段に過ぎない。他の動物にとっては何の意味も持たないように。

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第4・5章:2018.4.6

ユダヤ教は自殺を良くないものと定めているが、聖典にはそのことについての記述はないという。禁じた理由はおそらく矛盾を避けるため。神が全てを善いと説いている手前、自発的に死ぬことを肯定するわけにはいかなかった。

自殺を犯罪の一つと見る国もあるが、他の犯罪と比べたときにその毛色が異なるのは明らか。殺人の場合は怒り、自殺の場合は同情である。

仏陀は自殺に対して中立的な立場である。
ただし、死によって救われるわけではないとも説いている。悟らない限りずっと輪廻し続けることになる。唯一の救われる方法は、この世の一切は苦しいと認め自我を捨て慈悲と愛を与え続けること。頭の良い人は何も持たない暮らしこそが最も満たされていることを知っている。