他人への期待は間もなく失望に変わる。その原因は自分の不寛容さにある。と分かってはいるけどもやっぱり腹は立つ。

 

どうして言われた通りにやんないの?なんでこんな簡単なことできないの?いつまでかかってんの?今の状況と立場分かってんの?

などなど。

 

私はこれまで自分に自信がなかった。だからこそ人から何か頼まれたときはつい頑張り過ぎてしまっていた。こうして気付かぬうちに自ら他人との間に上下関係を作っていた。

 

一度でも期待に応えられなかったら相手にされなくなる。そういう幻想に囚われておどおどしながら生きてきた。ただただ真面目すぎた。そうして結局、一度は完全に壊れてしまった。

 

それからは無理をしないことにした。他人に好かれるよりもまず自分を好きになろうと決めた。相手の反応を恐れることをやめた。自分がやらなければと気負うことをやめた。実際代わりはいくらだっている。

 

できないことはできない。知らないことは知らない。めんどくさいことはめんどくさい。人間だからしょうがない。

 

そうやって一度吹っ切れたおかげで今がある。そして他人への不寛容さもきっとこの経験から来ている。つまり自分のこれまでの努力を否定したくないということ。だから相手にも努力や完璧さを求める。

 

その結果、思い通りにならず腹を立てる。まるでおもちゃを買ってもらえない子供のように。頑張り過ぎればどうなるか分かっていながら他人にそれを強いるなんてとんでもないサイコ野郎だ。

 

自分がされて嫌なことって案外平然と他人にできてしまうものだ。イコールそれは、他人から優しくされた経験がなければ他人に対してもまた優しくなれないということでもあると思う。負から正は生まれない。知らないものは与えられない。今はそんな風に考えが変わった。

 

人間の本質は、損をしたくない、正しく清らかでありたい、認められたい。に尽きる。

 

だから腹を立てるって全く本質的ではない。でも押し殺すのはまた違うとも思う。それはただ優しさを知らないだけなのだから。優しく受け入れてあとは自然にまかせよう。