運営サイトのリニューアル作業がひと段落してからというもの、何だか気の抜けた日々を過ごしてしまっている。燃え尽きた感じ。今は何もやる気がしない。といっても特にやることもない。
退屈くんと暇ちゃんが遊びに来るのはこれで何度目だろうか。今回はリュックを背負っているのでしばらく居るつもりなのだろう。彼らは明らかに招かれざる客だが決して拒んではいけない。
居留守など使おうものならますます面倒なことになるだけだ。とにかく暖かく迎え入れてきっちりと世話をすること。向き合うことを恐れてはいけない。そうすればそのうち満足して帰ってくれる。
そうして夢想のような妄想に耽っているとふと、これは一日の過ごし方を見直す良い機会かもしれないと思った。これまでは朝食を食べて一服→メールやサーチコンソールなどの確認→仕事→13時半ごろ昼食→仕事→17時ごろ一服という流れだった。
要するに一日の大半を仕事が埋めてくれていたわけだ。で、それがすっぽり無くなった。つまりその部分を何か別のもので埋める必要がある。ネットサーフィン以外で。
そもそも時間ができたら私は何をやりたかったんだっけ。平日の午前中ベッドに横になりながらこうして考えていれば「こうしている間もみんなは立派に働いているんだよなー。自分だけがズルしてさぼっているみたいで何だか申し訳ないなあ」と自己嫌悪と罪悪感に苛まれても何ら不思議はない。
私も以前までそうだった。それで結局仕事らしいことをしてその場を何とかやり過ごしていた。はみ出す勇気が出せなかった。あれほどナンダカンダを聴いたにも関わらず。
だがそもそも「みんな」ってやつはいないのだ。それに平日の午前中にぐうたら怠けてるやつだってごまんといる。だからその自己嫌悪と罪悪感は幻でしかない。
そんなことで自分のやりたいことを諦めてしまうなんてただのアホだ。自分への嘘はやがて現実になるということを忘れてはいけない。
そして私は小説を書くという一つの答えを得た。そうだった。私はずっとこれがしたいと思っていた。でもその度に何か理由を付けて先延ばしにしていた。
あるいはいつか書けるということ自体が救いになっていたのかもしれない。いざ書いてみたら全くつまらないものが出来上がる可能性だって大いにあるのだから。
その悲劇を私は乗り越えることができるだろうか。最後の砦を失い丸腰の状態になった私は、それでも希望を見失わずにいられるだろうか。そんなことを考えてこれまでずっと決心をつけられずにいた。
でも、僕らの世話をするよりはましでしょう?そんな私に退屈くんと暇ちゃんが優しくそう問いかけてくる。そして私はこう答える。
イエス高須。