朝からまとめサイトを流し読み。記事にたどり着くまでのあの長ったらしいリンク集が曲者。最初に何の記事を読もうとしてたのかすっかり忘れてしまう。気付けばもう11時過ぎ。そろそろやめよう。

 

アマプラを開いて行き止まりの世界に生まれてを観る。huluオリジナルの作品がアマプラで配信されているのは何だか妙な感じ。

 

アメリカは自由の国だとよく言われるけれど、映画やドキュメンタリーを観ていると一部の都市だけなんだろうなと思わずにいられない。今回もやはりそうだった。

 

悲しみは連鎖する。子供を虐待する親はかつて虐待されていた側だったかもしれないし、親に虐待された子供はいつか虐待する側になるもしれない。最初のうちはもちろん温かい家庭を築こうと努力するだろう。でもきっと長くは続かない。自分が与えてもらってないことを他人に与えることはできない。

 

誰も他人の寂しさを埋めることはできない。それでも人は懲りずに誰かを求める。自分に向き合うことを避け続けていたらそのうち自分が誰かも分からなくなる。

 

人生は誰かといる時間よりも一人でいる時間の方が圧倒的に長い。自分を知らずにいるということは、人生のほとんどを見ず知らずの他人と過ごすのと変わりない。そう考えるとぞっとしてしまう。

 

ゆったりと一日が過ぎていった。真夏のような暑さで体全体が溶けそうになる。カフェへ行くか迷っているうちに15時半になっていた。このままだらだらと家にいるのもいいし、ベローチェで本を読むのもいい。

 

でもベローチェまでの道のりを想像したら心がぽっきりと折れた。結局アニメを観ることにした。他にも何かできた気もするけどまあ休日なんて結局こんなものだろう。後悔はないのだから良しとしよう。

 

そういえば今日はめぐの誕生日だった。声はきっともう届かないけれど、おめでとう。