カレンダーを見て「あ、今日はMの誕生日か」とふと思った。最後に会ったのは2年前の3月。その後どう過ごしているだろう。
再会したあの日、彼女はしきりに「全ては一つ」だと言っていた。当時の私はぼんやりとそういうものかもしれないなあと思う程度だった。その意味がはっきりと分かったのはつい最近のことだ。
概念、観念、思想、言葉に囚われているうちは真実にはたどり着けない。必要な分だけ得たらそれらを全て手放すこと。そうしてすっきり空っぽになった状態で、自分の内側へと目を向ける。
すでにもう答えは知っている。ただそのことを忘れてしまっているだけ。それを思い出すために自身と向き合う。
何かを知るのにどこかへ行くのはもうおしまい。ようやく私は私に帰ってこられたのだから。
全ては一つ。今の私があるのは間違いなくこの言葉のおかげ。あの日彼女に会うことができて本当に良かった。でも「その彼女」ははじめからどこにも存在していない。
なぜなら全ては一つ、全てが私だから。彼女があの日会った相手は私ではなく彼女自身だった。私があの日会った相手は彼女ではなく私自身だった。そう、それだけのことだった。
この世界には私以外誰もいない。
そしてこの私も実はいない。
それもまた一つの概念に過ぎない。
ようやく私はそのことに気付いた。
ではこの言葉を発する者は誰か?
この言葉は一体どこからやってきたのか?
それは内なる「それ」だけが知っている。