新年最初の映画は「誰かの幸せ」

人間の持つ嫌らしい部分を巧みに描き出していて、本当にいやらしいなと思った。言葉が常に真実を語ると思ったら大間違い。甘美なる言葉の裏にはたいてい醜悪な感情が隠れていたりする。

 

なぜ他人の成功を手放しで喜べないかというと、負けた気がするからだ。身近な人であるほどその傾向は強くなる。何だか急に遠い存在になってしまった気がして寂しい。そしてあいつは変わってしまったなどとぼやく。変わったのはその人を見る自分の目だというのに。

 

数年前、パソコン教室を開いたときのこと。僕は嬉々としてそのことをNに報告した。彼は少し表情を曇らせてただ一言「へーそうなんだ」と言った。

 

自慢するつもりは毛頭なかった。ただ純粋にその喜びを共有したかった。それまでにも何度か彼には相談していて、その度に彼は励ましてくれた。だからきっと喜んでくれるだろうと思っていた。彼のその反応見て僕はただただショックを覚えた。

 

僕は昔から他人の成功話を聞くのが好きだった。あの嬉しそうな顔を見るとつい自分のことのように嬉しくなる。そして素直にすごいなと思う。そのことを伝えると大抵の人は驚いたような顔をする。「何だか菩薩さんに話しているようです」と手を合わせられたときもあった。

 

人は誰でも認められたがっている。それゆえに誰もが他人を認めたがらない。そのことを理解すれば人間関係はずっと楽になる。