ごみごみとした都会の喧騒を離れ、心穏やかな日々を過ごすこと約一年。時々ふとこれでいいんだろうかと思うことがある。得体の知れない焦燥感が突如として湧いてきて何をするにも落ち着かない。
そして、またもやここではないどこかを求め始めている自分に気付く。
無いものをねだるのが人間の常。そのことが自分を通してよく分かった。どれほど理想を叶えても決して満足することがない。それはつまり喉の渇きを潤すために塩水を飲むようなものだ。
何も無いことを知りそれを受け入れた人たちはどうだろう。「無いこと」に対する無いものねだりは「有ること」になる。でも何も無いの中にその「有ること」も含まれているとしたら、ねだるものは一切無くなる。その境地に至ったとき、人間は初めて自由になれるのかもしれない。
一度社会に組み込まれてしまったら抜け出すのは難しい。疑問を抱くたびに矯正させられて、この社会の外側への興味もそのうち枯れ果てる。他人との比較、幸福の追求、主張や批判をいくら続けても心が満たされることはない。快楽さえも焼け石に水。
じゃあどうすればいいか。その社会に対して無いものねだりすればいい。それであなたの心は救われる。明日からの生活はまた明日考えればいい。とにかく今日をどうにかしないことには何も始まらない。
そして最も大切なことは、社会などというものはどこにもないと知ること。全てはあなたが映し出したものに過ぎない。あなたはそれを観測し受容し分類する。それが出来事になる。つまり出来事とはあなた自身のこと。
無論、このブログだって例外ではない。