9時前に家を出て15時に到着。なかなかの長旅だった。最寄駅に降り立った時、思いのほか懐かしさは込み上げてこなかった。1年ではこんなものなのかもしれない。
なんとなく叔母がいそうだなと思いつつ玄関を開けると案の定いた。こういう時の直感は恐ろしくよく当たる。叔母は人生初の骨折、叔父は二度ほど入院。話を聞くうちに一年という月日の長さを実感するに至る。両親は相変わらずだった。
母が叔母を送りに行くというのでしばし親父と二人きりになった。以前のような気まずさはなく普通に話すことができた。普段のことや両親の馴れ初めなど。くも膜下になったとはいえ、過去の記憶ははっきりと覚えているものらしい。
実家を離れたことで内面的に少しは成長できたのかもしれない。母の話は相変わらず止むことなく辟易させられたが、以前よりは受け入れられるようになったと思う。このタイミングで帰ってきて良かったと改めて思った。
夜、菅野君と千秋ちゃんと飲む。何気なく言われた言葉ほど人はよく覚えているものだ。そして言った側は大抵そのことを覚えていない。それが面白いところでもある。
同い年の独身同士でも価値観は様々。菅野君はかつての僕のようにどこか達観しているように見えた。平日仕事をして休日は家でテレビを見たり筋トレに励む。誰と会うでもなく淡々とそれを繰り返す。そこに虚無感や孤独感はなく、まあ人生こんなものさという前向きな諦めだけがある。
僕もかつてはそう思っていたが、それは単に本の受け売りでしかなかった。だからどこか薄っぺらく不安定な感じがした。対して彼は実体験を通してその考えに至った。そういう人が発する言葉にはとてつもない説得力がある。
彼は本当に強い人だと思う。身近にこんなお手本がありながら、僕は遠いところにばかり目を向けてしまっていた。気付きはいつでも今ここにある。というよりも、今ここにあるのは気付きだけ。
誰もが弱さやズルさを心の内に秘めている。やりたくないことはやりたくないし、できることなら楽をしたい。そういう考えを持つことは人間である以上ごく自然なことで、ちっとも悪いことじゃない。悪いのは周りや本人がそれを抑圧してしまうこと。だからおかしなことになる。
良い子の君へ。君はそれが当たり前だと思っているかもしれないけど、他人の期待に応え続けることは誰にもできるものじゃない。どんなに頑張ってもきっと君は誰にも褒められなかっただろうし、どれほど孤独を感じてもきっと君は誰をも頼らなかっただろう。君はたぶん知らないだろうけど、君はすごい人だ。本当に。
でも、それは君にとって何の価値もない。大切なのは君がどうしたいか。それに気付かない限り、君の人生はいつまでたっても始まらない。改めて聞こう。君はこれからどうしたい?