最近はただ入れるばかりですっかり出さなくなった。もちろん入れたからにはズババと出したい。でもいざ出そうと思うと途端に冷めてしまう。
30歳ぐらいまでは出しまくっていた。入れずに出すなんてこともザラだった。でもそのうちに出せなくなった。
言葉で伝えることには限界がある。現に今だってそう。たった二段落で僕らの間にはきっと決定的な齟齬が生まれている。
お釈迦さんはそのことをよく知っていた。だから本に書き残すこともしなかったし、弟子たちには「真理は沈黙によってのみ語られる」と伝えていた。
これまで散々日記を書き続けてきて分かったことは、書けば書くほど自分が分からなくなるということだ。思いや考えを言葉にすると、今度はそれに思いや考えが囚われてしまう。そうして言葉が勝手に紡ぎ始めた物語をあたかも真実だと思い込んでしまう。
同じ言葉でも使い方は人それぞれ。これほど不確かで曖昧なものに頼らざるを得ないのが人間の悲しき定め。でもそのことさえ理解していれば、そんな差異も案外と楽しめるものだ。そう、ちょうどあの二段落のように。