過去の日記をふと読み返していた。ここ最近暗くなったと感じていたのは全くの勘違いであることに気付いた。

 

考え方や感じ方は何も変わっていない。自ら発した言葉以上に確かなものはない。日記を付けていて良かった。

物事を考えるのと機転を利かせるのは同義だろうか。ほとんどの人は何も考えていないと誰かは言う。しかしこの世に何も考えていない人などいるだろうか。

ブッダのことばをまた読み始める。私はきっと賤しい人なのだと思う。正しいことをしたいと思っているが全く実行していない。ただ正しい言葉を発しているだけ。周りからは善い人間だと思われているが、そうでないことははっきりと自覚している。

この前Nと街中を歩いていたら挙動不審な中年女性がいきなり話しかけてきた。私は関わりたくないと思いとっさに避けてしまった。そういうときにこそ人格は表れるのだと思う。

 

ただ知識を詰め込んでいるだけだ。その取るに足りない知識にすがり自分こそ利口で正しい人間だと思い込み他人を見下している。自分でもほとほど呆れてしまう。

さらに移住のことを調べた。近くに大きな公園や落ち着けるカフェがある環境ならば都心でも良いのではないかと思い始めてきた。