気付けば時間だけが経っている。その間何をしていたかというとほとんど雑務のようなことばかり。そのくせ本人は仕事をした気になっているのだから始末に負えない。

 

細切れの時間を寄せ集めても何も生まれない。分かっていても次の瞬間にはまた新たな雑務を探している。外から見れば能動的だけど内実それは逃避でしかない。何から?本当にやるべきことから。

 

よくよく考えてみればやるべきことから逃げるだなんておかしな話だ。それはつまり、やりたいこととも言えるのだから。でもいざ目の前にそいつがどーんと現れると息苦しさで思わず逃げ出したくなってしまう。

 

締切前の憂鬱に近いかもしれない。どれほど抵抗しても締切が後ろ倒しになってくれることはない。それにもかかわらず、ただどうしようどうしようと狼狽する。解決策が一つしかないということがすでに重圧なんだと思う。

 

例えばコンビニに行こうとする。いざ近くまで来てみるとコンビニの入口を挟むようにして数十名のヤンキーがたむろしている。コンビニに入るためにはその間を通り過ぎないといけない。ああ、なんて憂鬱な状況だろう。

 

僕ならきっとそのコンビニを華麗に通り過ぎるだろう。そして一つ先のコンビニに向かう。もしかしたら次のコンビニでも同じ状況が待っているかもしれない、とは考えない。むしろそんなことあるわけがないと高を括る。

 

で、着いてみて愕然とする。ここで諦めて家に帰るとしよう。すると最終的には外を歩いたという行為だけが残る。これがたぶん今の自分の状況。何もしていないわけじゃないのに実感が湧かないあたりきっとそう。

 

いずれはヤンキーの前を通り抜けないといけない。間違えても誰かに行ってきてもらおうだなんて考えないように。

 

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