対する社本はどこかもう人生に対して諦めている節がある。冷え切った娘や後妻との関係や自分の将来、全てにおいてまあこんなもんだろうという感じで溢れてる。そんな社本を見て村田は昔の俺にそっくりだなとつぶやく。
この映画は主人公に対して感情移入できなくなってから俄然面白くなる。そうしてちょっと離れた視点から眺めてみると、登場人物それぞれ異常さを抱えていることに気付く。だからこそラストシーンはそうだよなと妙に納得してしまった。
ところで、悪人の中で自分が悪いことをしていると自覚している人はほとんどいないらしい。あのアル・カポネでさえ、自分は慈善活動をしていると信じて疑わなかったのだという。悪人からすればお前らが勝手に悪だと決めつけただけといった具合だろう。
その行為が善になるか悪になるかは結局他人次第だ。絶対的な悪を見つけると私たちはどうにかしてそれを排除しようとする。
そしてそれは仲間意識につながって自らの正しさを再認識するきっかけにもなる。その標的を巷ではスケープゴートとかゴジラって呼んだりする。正義を後ろ盾にすると人間はびっくりするくらい勇敢にも残酷にもなる。
そっか。社本にはそれが無かったのか。絶対的な悪を目の前にして、立ち向かうどころかほいほい従っちゃってたもんなあ。伝説の教師っていうドラマの中で「中途半端な正義が一番の悪なんや」っていうセリフがあったけど、まさしくその通りだなと思う。
死体を解体する愛子の健気さと麗しさに思わず心が震えた。