いつか使うかもと思って取っておいたものを一切合切処分した。いくら気を付けていても物は自然と増えてゆく。でも本当に必要なものなんてごくわずか。

 

またまたまたまた虚しさに襲われた。瞑想をする気にもなれず、まとめ記事を延々と読み漁ってしばし現実から離れた。構造はショート動画にハマる若者と何ら変わらない。

 

この何のイベントも起こらない画一的な日々に時々息が詰まりそうになる。これからもずっとこれが続くと思うとただただ恐ろしい。

 

そもそも自分で望み選んだことなのだからまったくの自業自得ってやつだ。それでもあえて言わせてもらうなら、誰かマジで助けてください。

 

もういっそ終わりにしてほしいとも正直思う。でも自ら終わらせる勇気なんてこれっぽっちもない。どこまでも他力本願。そんなんだからお前はダメなんだと頭の中では相変わらずあの無能上司が叫び散らかしてるけど中指立てて粛々と土下座。

 

毎夜、どうかどうか明日が来ませんようにと願って眠りにつく。そしてふわぁーよく寝たと爽快な気分で目を醒ます。まるで昨夜の願いの方こそ夢だったと言わんばかりに。その5分後に「しまった。うっかり生きてしまった」と慌てて気づく。

 

少し前までは退屈さえも幸せだなどと豪語していたのに、外からちょっと刺激を受けただけでこうもあっさりと打ちのめされてしまう。あんなにたくさん本を読んでヴィパッサナー瞑想もしたのにとまた慢の罠にハマり、気軽に誰かを頼ることもできない。

 

他人はたくさん良いものを持っている。それを眺めては羨んで、逆に自分を恨んでた。本当は最初から何もなかったのにまんまと幻惑されて、勝手に喪失した気分になっている。

 

誰にも必要とされずただ二酸化炭素と自虐を吐くしかできない人間にさえ、人生は優しく微笑みかけてくれる。それが僕にはこの上なく辛い。かといって彼女から離れるのもまた辛い。きっとこの悶えや苦しみを味わうことが今世における目的なんだろうと思うしかない。そうでないとやってられない。

 

つらつら書いてきたけど本当は単に寂しいだけ。でも誰かが気にかけてくれるとも全く思ってない。みんな自分の世話で忙しい。いちいち他人に構ってる余裕なんてない。それが自己責任至上主義の現代というもの。

 

失望したくなければ最初から期待しなければいい。そう思ってこれまでずっと生きてきたけど、実はそんな自分に一番失望しちゃってるってことに最近ようやく気が付いた。