ケツの痛みは昨日より若干引いていた。イボ痔さん今日はどうかお手柔らかに頼みます。でも根本的な問題を解決しない限り今後もずっと繰り返すだろう。つまり運動と野菜。ひとまずは散歩。

 

目覚めてからすぐに日光浴をした。ようやく自分の部屋にも日が差し込むようになってきた。暖かい。全身に何かこう力がみなぎってくるようだ。15分ほど当たったあと、スマホでぽちぽちとここ1週間分のブログを書き始めた。

 

昨日はMとお茶をする予定だったがあいにくと中止になった。私がプリザエースでガンギマリだったから、ではなくてMの祖父が先週亡くなり通夜や葬式などでバタバタするからという真っ当な理由から。

 

私も12年前に祖父を亡くした。あの頃は死なんてずっとずっと先にあるものだと思っていた。火葬が終わった後わんわん泣いたことを未だによく覚えている。悲しかったのもあるけど、現実を受け入れ切れなかったことの方が大きかったように思う。

 

そのとき初めて死がすぐそばにあることを知った。それから何年か経って色々な本を読み漁るようになって、また別の考えを知るようになる。それはつまり、生まれることもなければ死ぬこともない。ただそれだけが在るのだと。

 

だとしたらあのとき感じたものは全て嘘だったのだろうか。じいちゃんのおでこの冷たさも火葬されて灰になった姿も親族と思い出を語り合ったことも何もかも全部。それって何だか悲し過ぎやしないか。

 

私も世界も実在しない。例えそれが真実だとしてもやっぱり私は生を楽しみたいし死を恐がりたいと思う。だからやっぱり、聖者には全くなれそうもない。